とにかく小さい頃から車が大好きで、生まれ住んでた江東区の枝川2丁目から近かった晴海で自動車ショーが開かれると朝から夕方までパンフレット集めに熱中してた。 1967年僕が12才の時イタリア・グランプリでHONDA RA300が優勝した。 その時の‘記録映画’が自動車ショーで‘上映’されてて、特にフォーミュラワン(F1)のスタートのシーンが凄くて‥車ってこんなに速く加速するんだ! なんて思って一日中その記録映画を見てたし、確か前年度の型式のHONDA RA273も回転テーブル形式でぐるぐる回って展示してて、やっぱり一日中,飽きもせず眺めてた。 僕の憧れのレーサーは、日本では生沢徹さん、外国ではジム・クラーク。 中学生の頃には本気でレーサーになりたいと思っていた‥が。 何故かレーサーにならず(正確にはなれなかった(笑))僕は何故か打楽器奏者になった。 いつかはレースに参加したいと思いつつも月日は流れながれて‥。 そして、1988年にKEGANI RACING発足、チームオーナー兼チーム監督でレースに参戦する事に。 筑波9時間耐久に出場しようとした理由は、レース前に盆踊り大会が有るから! まあ、半分冗談だけど、半分はマジで愉しそうだったから‥世界中捜してもスタート前に盆踊り大会なんてやって無い(?盆踊りって日本だけ?笑) でも、最初はシビックで出場して(女性レーサー3人)そのレースに使った車をノーマルに戻して街乗りに使おうとか相談してたのだよ。 今、思うとのんびりしてたよね。 だから、レース用の安全タンクにしないで(街乗りの時に困るのと、安全タンクの値段が高かった!)出場。 それと、レース1カ月前位にラリー界の知り合いからジョイントして筑波に一緒に出ようよと言う話が来た、車はギャランVR−4だと言う。 VR-4と言えばラリーでは速いし、四輪駆動だし、2000ccにターボは付いてるし‥素人考えでは1600ccのシビックより速いだろうと(僕だけ思った‥苦笑) それでジョイントする事に。 しかし、当たり前だけど車大好きとは言えレース観戦してた立場から実際にレースする方の立場になった時には、すべてが新鮮な驚きの連続で‥要するに何も判らず‥(笑)。 ここからKEGANI RACINGが始まったのでした。 次回に続く(不定期‥) ************************************************************************ さて、このKEGANI RACING historyは写真を中心にKEGANI RACINGの話だけでなく、車の話、当然レースの話etc,などを思いつくまま書いて行こうと思っています。 しかし、しかし‥毎日更新出来ませんので、不定期になりますが‥息切れしないように愉しんで行きたいと思いますので宜しくおねがいします。